能登ヒバの森と人々

里山里海の暮らしが根付く能登では今も林業が盛んに行われている。

半島中部の七尾市から北端の珠洲市にかけての内陸部はなだらかな山間地が広がっていて、山に立ち入るのもそれほど難しくないからだろう。



初秋のある日、許可を得て輪島市内の森に踏み入ると、空はまったく見えなくなった。
暗い地面からまっすぐ突き立つ黒ぐろとした木は、この地に古来から根付く能登ヒバである。

ヒノキの仲間、アスナロの一種である能登ヒバ。当地では家の柱や器の木地として家のどこかで必ず見かける身近な木材で、地元ではアテ(档)と呼ばれている。この木を育てるのに能登の気候が「当たり」だったのが呼び名の由来だという。とても硬く頑丈な木材で、家を支えるばかりでなくふすまの敷居など摩耗の多い箇所にもよく使われている。

人の手による造林も江戸時代以前から始まり、大正時代以降急速に広がった。今や石川県内の人口針葉樹林の約2割が能登ヒバだというから、まさに県を代表する木のひとつだろう。

「非常に成長が遅いです。100年以上を費やして太い木を育てようと新しい育て方も研究されています」

県の林業指導専門員である一二三悠穂(ひふみ・ゆうほ)さんが説明してくれた。

明るさが命のスギと違い、暗い森でも育つのが能登ヒバだが、放っておくとどんどん密生しついには地面近くの若木が育つ光さえも遮ってしまう。そこで試みられているのが「択伐(たくばつ)」という生産方法だ。


森にさまざまな樹種を混在させることで日当たりを確保し、若木を根付かせながら必要な分だけ木を切っていくものである。同じ樹種をまとめて植え、育ちの悪い木から間引いていく「間伐」と違い、環境負担が少ないとしてヨーロッパでは主流の方式だ。一方で温暖な日本では地面の下草が木の芽を覆ってしまうため効率が悪いとされてきた。だが、もともと暗い森をつくり、その中で育つ能登ヒバならその点はあまり問題にならない。


「国内では珍しい、自然に任せながら生産できる木だと思っています」

一二三さんは胸を張った。