能登とお酒の酔わない話

*本取材は「令和6年能登半島地震」以前の内容であり、現在同酒造は営業を休止しています。

日本海に約 130 キロ張り出す能登半島。里山の豊かな恵みと厳しくも美しい自然に抱かれ た半島は酒造りに適した環境が整っている。 その証左とも呼べるのが、この地に学び、技を磨いた能登杜氏(とうじ)たちの姿だ。伝統の酒造りを熟知した能登杜氏は古くから全国各地の蔵を渡り歩き、この国の酒造りを縁の下で支えてきた。

能登半島最北の酒蔵「櫻田酒造」は 1915(大正 15)年に創業。4 代目の櫻田博克さんは、現代を生きる能登杜氏のひとりである。加能ガニ(ズワイガニ)の水揚げが盛んな珠洲・ 蛸島漁港のそばに蔵を構えて 100 年あまり。看板銘柄「初桜」や純米吟醸酒「大慶(たいけい)」は、地元漁師の宴には欠かせない存在となっている。

「酒づくりが楽しくてしかたないんだよ、うまくできたか不安で眠れないときもあるけどさ、それも楽しい」

出迎えからにこやかだった櫻田さんは、話し始めるとますます笑顔になった。

櫻田さんが酒造りに携わりはじめたのは 22 歳のときだ。東京の大学から戻ってきたばかり の櫻田さんは、冬の間だけ雇われるベテランの杜氏から手ほどきを受けることになった。蔵 に入ったり配達をしたり忙しい日々を送りながら、見様見真似で伝統の技術を叩き込んだ。 父は杜氏ではなく経営者の立場だったこともあり、「ゆくゆくは家族が杜氏になってくれれ ばいいな」とよく言っていたという。

それから 3 年ほど過ぎた 25 歳のある日、櫻田さんを指導してきた杜氏は「もうお前がやれ、 おれ来年は来ねえから」とふいに告げた。

「ええっ突然に?と驚きましたけど、もうやるしかないんだと思って」

珠洲に根ざした仕事ができることも魅力だったとる櫻田さん。当時は能登最年の杜氏 デビューが話になった。さゆえか。はじめのうちは「きうも成果を出せずわ ってしまった」とる日々がいたという。

では自い込まず、楽しことが仕事モットーだ。 「ノーストレスで仕事してますよ、本に楽しんでやってますから」 してのんびりしているというわけではない。大業のときは蔵にこもり、こたで寝 起きしながら酒の様を見ることもある。だがずつ完成づいていく酒をどう仕 上げるかえていると、どんな業も楽しくて仕方ないという。

櫻田酒造の酒は、珠洲市内への出がほとんど。最の日本酒ブームでしい酒をめるフ ァンが、くからやってくることもえた。それでも場をげたり遠方に出したりはず堅実な地元の酒でありけるんでいる。

「忙しいと酒造りが楽しくなくなっちう、それはせじないと思うんです」

 

珠洲蛸島能登最北、珠洲市街地の一角をなし、古代から漁師としてえてきた。には熱狂 的なキリコ祭りが営まれ、手な装束たちが 1 ンもの奉燈ぎ、威勢よくける。2004 年まで能登終着駅があり、能登観光玄関としてくの観光客記憶まれている。